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ベルギー・オランダ旅行 (その13/13)   -- アーヘンとケルン ーー

ツアーの最終日、4月9日(月)の天候は薄曇り。ベルギーオランダ7日目 


(写真↑:奥の建物はアムスれるダム駅、東京駅はこれを真似した。)


(写真↑:アムステルダムの花市場通り)

アムステルダムを後にして、次の訪問先はアーヘンとケルン。アーヘンでも大聖堂を見学。北部ヨーロッパでは最古のもの。建設当時は、 アルプス以北では最大のドーム建築だった。カール大帝の墓所である。600年にわたって神聖ローマ帝国の皇帝たちの戴冠式が執り行われていた。それゆえ、ユネスコが1978年に世界遺産を決めたとき最初に選出された12の世界遺産のうちの一つになった。

(写真↑:アーヘン大聖堂)

それにしても、欧州のツアーはワンパターンだ。だいたい見学するのは大聖堂か美術館。いろいろと大聖堂を見てきたので、最終日近くになるとどこがどうだったか混乱してくる。もうすこし工夫が欲しいな。人々の日常生活とか。例えば、運河のボートハウスの中を見るのもいいかな。

ツアー最後の訪問都市はドイツのケルン。ケルンは元々ローマ帝国の軍隊が駐屯し創った街。北のローマともいわれている。大聖堂のすぐ横にもローマ時代の遺構が残っている。とは言うものの、ケルンと言ったら何と言っても大聖堂。これはゴシック建築の代表作として教科書にも載っている。632年の歳月をかけて1880年に完成した。中学校の時に教科書に載っている写真を見て一度行ってみたいなと思った。ケルンの大聖堂を見たときは、その思いがかなったと思って感慨深いものがあった。
ケルン大聖堂IMG_8400    
 ケルン大聖堂73
(写真上、大聖堂の前には、塔の先端部分と同じものが置かれていた。
 写真下、先端部部にはハシゴがかけられている。←この写真はネットからのパクリです。)
大聖堂の塔に登れるという。登れるのは正面から向かって右側にある塔、南塔だ。高さは157m。登って降りてくるまでの所要時間は30分ぐらい。ツアー組の中で登ろうとしたのは私一人。もちろん有料。4ユーロ取られる。らせん階段が延々と続く。533段となると結構きつい。533段の階段を上ると100mの高さの展望台につく。ぐるっと一周でき、ケルン市街を見渡せる。10分ぐらい眺望を楽しんだ。下りは階段を一気に降りてしまった。 (写真→:大聖堂の塔からのケルン市内の眺め、下方はライン川)



階段の出口から続く大聖堂の広場の前には「4711」の看板を掲げる香水屋があった。ケルンには3つの水があるそうだ。①水道水、②ビール、③オーデコロン。オーデコロンはフランス語で「ケルンの水」という意味。お土産にオーデコロンを買うかどうか迷った。Lineを使い家族に「今、ケルンの4711というお店の前にいるのだけど、香水買ってきて欲しいか。」とメールしたら、娘から「買って!」との即答。4711が有名なお店だとは全然知らなかった。後で知ったのだが、4711はドイツ・ケルン生まれのオーデコロンの元祖だった。200年以上にわたり、独自の製法を守り続けているようだ。

香水を買い終わって広場に戻ろうとすると、広場の片隅に添乗員とツアーの仲間たちが何人か集まっている。添乗員さんが近くにある地元ビールを飲めるお店に案内してくれるという。塔に上って体力を消耗したので、ビールで疲れをいやすことにした。

しばらくして、バスが迎えに来た。ケルンの大聖堂を後にしてデュセルドルフ空港に向かう。ベルギーとオランダ、あまり期待してなかったがヨーロッパの奥まで入り込んだようで結構満足した気分。しかし、なんとなく忘れ物をしたような、なんかすっきりしない気持ちが残っている。何かをやり残したような・・・気分があった。なんだろうこの気分は・・・・。

バスから見る窓の向こうに空港を飛び立つ飛行機が見えて来た。あの飛行機の高さぐらいからの眺めがきっと大聖堂の塔からの眺めと同じくらいかなと思いをめぐらしていたら、あっイカン!と気づいた。塔に登ったのに満足して、大聖堂の中に入って見学するのを忘れていた。昔から的を射た言葉があった。”馬鹿は高いところに登りたがる。”
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ベルギー・オランダ旅行 (その12/13)   -- アムステルダムと夜警 ーー

ザーンセス・カンスの風車を見た後は、アムステルダムに移動し、午後からの市内観光。まずは、運河クルーズ。ここでも、旅物語の人と一緒になった。アンネの家をボートから見る。アンネの家は、人気が高く、入場制限があってなかなか入場する機会がもてないそうだ。

(↑写真:観光客向けクルーズ船)

運河にボートを浮かべ住居としている人がいる。アムステルダムでは2500隻ぐらいの住居用ボートがある。ボートといっても、動力は搭載してないから動かない。そのボートには、電気、ガス、水道、電話などが完備されている。住所もあるから郵便も届く。数が限られているので高価(諸説あるが一隻買うのに普通の家が2軒買えるとか5000万円ぐらいという話も)だという。ボートハウスに住むことが一種のステータスとなっている。

20分ほど運河クルーズの船に乗って途中下車。そこはダイヤモンド工場だった。日本人の係りがダイヤモンドの作り方から見分け方まで教えてくれる。原石からカットとして54面体にするまでに3日間かかるそうだ。これを124面体にすると1週間。うーんそんなわけで高価となる。もちろん、工場から直接買える。実際にツアー参加者の中から親子と100ヶ国以上行っているという夫婦がその場に残り、買っていたようだ。

ダイヤモンド工場の後は、国立美術館を訪問。レンブラントの「夜警」が有名だ。この「夜警」、サイドストリーというか余談が面白い。最初に飾られていた組合の場所から市役所へ移動するときに大きすぎて市役所の壁に収まらないので左右と上の端を少し切ってしまった。今は世界3大名画の一つといわれているのに・・・。切断される前の絵を模写したものが隣に掲げられていた。


(↑写真、「夜警」の前はやはり人だかり)

夜警 切断線あり 300px-Nachtwacht-kopie-van-voor-1712
(写真、白線の外側が削り取られた。)


「夜警」というタイトルがついた絵だが、そこに描かれていた絵は夜ではなく、実は昼間の状況を描いた絵だった。表面に塗ってあったニスが年月を経て黒ずんだ。絵全体が薄暗くなっていた。中央の人物が手にカンテラらしきものをぶら下げている。「夜警」という絵のタイトルになった。

しかし、修復のために絵の表面のニスを取り除いたところ、絵は明るさを取り戻した。夜ではなく昼間の状況を描いていたことがわかった。よくよく見るとカンテラと思われていたのは手袋だった。当方は絵を鑑賞する才能はないけど、こういう話を聞くと結構面白く感じる。

で、4つある世界三大名画(世界三大名画は4つあると前のブログで書いたけど、モナリザ以外は大きな絵なのでモナリザが除かれるのかな?)といわれる絵をすべて見ることができた。私的には、スペインのプラド美術館でみたベラスケスの「ラス・メニーナス」が一番ですね。

ベルギー・オランダ旅行 (その11/13)   --風車と国を救ったハンス少年ーー

ツアーも終わりに近づいてきた。ツアーの7日目、4月8日(日)は8時過ぎにホテルを出発し、風車を見に行く。オランダと言えば風車。キンデルダイクが有名だ。しかし、私たちが見物したのはザーンセス・カンスの風車。





かつてオランダには10,000基の風車があったようだ。現在は1,000基程度。その中でキンデルダイクには19基の風車がある。迫力ある風車の風景となったらキンデルダイクの方なのだろう。アムステルダムに近いザーンセス・カンスには、風車が4基ある。風車小屋の中にも入れた。チーズ工場や小さなお店もある。周りの景色もオランダの牧歌的風景がそこにあった。 この辺も海面より低いのだろうと思いながら、水車を眺めていたら、ツアーに出発する前の妻との会話を思い出した。

妻:「オランダと言えば風車の風景よね。」
私:「うーん、そうかもしれない。堤防に指を突っ込んで国を救った少年の話も有名だね。でもね、面白いことに職場でその話をしたら若い人は知らなかった。」
妻:「ナニ、その話。私も知らない。」
私:「えっ、本当?本が好きだから知ってそうなもんだけど。それに、本好きでもない私が知ってるんだから、たぶん教科書に載っていたんじゃないかな。だから、読まされただろう?」
妻:「本当に知らない。どんな話?」

バスで移動しているときに暇つぶしに、そんな会話があったことを添乗員さんに話した。案の定、添乗員さんもその話は知らなかった。たぶん教科書で取り上げられなくなった時期がある、妻も60歳になったから、その境界線は現在60歳から65歳ぐらいの間にあるはず、だから65歳以上の人たちは皆この話を知っている、と付け加えた。この会話を聞いていた後ろの席の老夫婦が口をはさんできた。二人とも70歳を超えていた。しかし、その話は知らないという。老夫婦は78歳と70歳ちょっと。そっかー、知っているのは65歳前後の年齢だけだったのか・・・。

その少年、ハンス少年が国を救ったというお話の概要はこんな感じ。

ーーーーーー
オランダという国は海面よりも低い陸地が多いので、海岸には大きな堤防を築き、所々水門を作って番人をおいて海水が流れ込まないように見張りをさせています。

 堤防監督官の息子ハンスは、お父さんがいつも「わたしの仕事は本当に大切な役目だ。この堤防が蟻の穴ほど崩れても、オランダ中が水浸しになってしまうかもしれないのだ」と言っていたのを聞いていました。
雨の日も、風の日にも、いやそういう日こそ、お父さんが緊張して家を出ていくのを見て育ちました。

ある日ハンスが隣村の叔父さんを訪ねて帰る途中、天気が悪くなり、海が荒れ出しました。恐ろしい大波が押し寄せて来ては地響きを立てて堤防にぶつかります。
ハンスがふと堤防の内側を見ると、一箇所水が流れている所がありました。

「おや、これは大変だ。早くお父さんに知らせよう」と思って、それまでの処置にと、泥を詰めたり、石を置いたりしましたが、水の流れは強く、反って周りが崩れて穴が大きくなり、ますます激しく水が噴出してきます。
ハンスは驚いて手で押さえてみると、ズルズル肩まで入っていまいました。しかし、それで水が止まったようです。

ハンスは腕を抜くことが出来なくなりました。抜けば大水が流れ出してくるでしょう。そのままの姿勢でハンスは人々の通るのを待ちました。
しかし、そんな天気ですから誰も通りません。
その内、雨も降り出し、日も暮れました。

ハンスは、「お父さん、お母さん」と声の限り叫びましたが、嵐の中でその声はかき消されてしまいます。
ハンスの腕は冷たくしびれて、感覚も無くなってきました。
しかし、「この腕を抜いたら、町も村もオランダ中に洪水が起こってしまう」と考えて、ハンスは泣きながら、そのまま堤防を守っていました。

お母さんはハンスのことを心配しませんでした。こんな天気だから、きっと隣村の叔父さんの家に泊まったに違いないと思ったからです。

翌朝、堤防監督官を中心に、人々が堤防の検査に来たとき、下の方に倒れているハンスを見つけて大騒ぎになりました。
ハンスは気を失っていましたが、その腕はしっかりと堤防の穴に差し込まれて水の浸入を防いでいました。
人々がハンスの腕を引き抜いて見ると、どっと水が噴出してきました。
その腕は紫色になっていました。

この少年の細い腕がオランダを救ったのです。  
ーーーーーー

腕じゃなく指を突っ込んで止めたような・・・・記憶もある。
オランダの海沿いの2都市ハルリンゲンとスパールンダムには少年が堤防ふさぐ銅像がたっているほどに、結構、有名なお話(と思うの)だけどねぇー。ハルリンゲンの像は、指を突っ込んでいる。(↑写真:ハンス少年は左利きだったんですかね?)

あ、この話は実際にあった話ではなくフィクションです。アメリカ人メアリー・メイプス・ドッジが1865年に書いた作品です。普通、ヨーロッパのフィクションなら堤防に手を突っ込んだ少年は発見された時は、既に冷たくなって天に召されてましたといった風な悲劇的な結末が予想できます。しかし、ハンス少年は気を失っていますが、死んではいません。この辺が、米国の女性作家によるフィクションだからでしょうか。
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