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故郷に乾杯!

今週月曜日のNHK7:30から開始の「鶴瓶の家族に乾杯」は、埼玉県の東秩父村と私のふるさと小川町が訪問地でした。ゲストは加山雄三。

東秩父村というのは、現在埼玉県で唯一の村を売り出し中。埼玉県唯一の村といっても、裏を返せば平成の大合併の波に乗れなかったということです。現状はどん詰まりの村です。どうして、埼玉県唯一の村となったかというと、隣の小川町との合併がもつれたからです。

村の名前の通り、東秩父村は秩父市ないしは秩父盆地の東に位置しています。埼玉県秩父郡東秩父村。地理的には秩父市と隣接している。しかし、東秩父村との間には山が連なっている。番組でも出てきましたけど、標高600mぐらいのところにある定峰を超えなければいけません。戦前までは、このあたり一帯は秩父の名前が断然知れ渡っており、その関係で東秩父村と名乗ったのだでしょうか。生活上秩父市と密接な関係にあるかというと山が立ちはだかり、小川町が唯一の隣接生活圏です。ごみ処理や消防などの生活上の広域行政となるとお隣の小川町や嵐山町、東松山市などの比企郡の比企広域市町村圏組合に属しています。

当然のことながら、平成の大合併の時はこの小川町との合併に向けて話し合いが行われました。しかし、村議会議員の定数通りの議員を合併後も要求するなどダダをこねて、交渉は決裂。挙句の果ては、小川町を超えて遠く東松山市との飛び地となる合併を模索するなど、韓国をほうふつさせる頭おかしんじゃねぇーの状態になっています。今は、日本が韓国を相手にしない戦略的放置と同じように、小川町からは戦略的放置状態にされています。

そんな訳で、埼玉県内の村々が次々と隣接都市と合併し消滅していく中で、唯一の村として残ってしまいました。唯一の村として売り出せるから、この方がよかったかもしれないですね。こういうと怒られるかもしれないけど、本当に田舎の風景以外何にもない村です。なにしろ、東秩父村から電車に乗ろうとすると、車で40分ぐらい走って小川町駅に行かなければなりません。

さて、「家族に乾杯」に戻ると、加山雄三と別れて東秩父村から、小川町に来た鶴瓶は魚屋さんに入っている。ここの魚屋さんは「和泉屋」さん。子供の頃、店の夫婦がこのお店は私たちの代でおしまいだぁーと言っていたのだけど、その夫婦の子供が後を継いでいた。親父さんに似ているのですぐわかった。しかし、あんな小さなお店でよく生計立てられていると思う。

魚屋を後にして、次は旧家に入っていた。あの家は、「加藤」さんという地主の家。魚屋さんがある道路沿いの商店の人たちの多くはこの加藤さんの店子だった。今は、ほとんどのお店が閉じている。家賃収入も少なくなり大家としての生活ができなくなったのでしょうか、「加藤」さんの家もだいぶ前からひっそり感を醸し出していた。空き家になっていたんですね。で、買い手がついたから売ってしまったということかな。

中にいた人は、引っ越してきたばかりで家の中を整理中。と言っても家の中は段ボールの山。音楽資料を2tトラックで12台分古い家に運び込んだと言っていた。「湯浅 学」という音楽評論家。「家族に乾杯」はぶっつけ本番の旅を売り物にしているが、魚屋さんの家に、小川町出身とはいえ林家木久扇の弟子が入ってきたり、そこそこに名前が通っているらしき音楽評論家が引っ越ししている最中の家に偶然入るというのは、少しできすぎですね。鶴瓶や加山雄三などの番組主役にとってはぶっつけ本番の旅となっているのだろうけど、番組企画としての観点から見るとところどころにシナリオありきの臭いが漂います。家族に乾杯A 2018-12-13 (25)

音楽評論家が引っ越してきた家の裏側は崖になっている。崖と言っても、加藤さんの家は崖の下辺にあたる。家の裏で生い茂る大木の上の高台にあたる場所に私の実家があります。番組でも出てきた床屋さんは私の行きつけの床屋さんでした。(自分のことは棚に上げ、)床屋のご主人も随分と年を召したなぁーと思ってみていた。

今回の「家族に乾杯」は、久しぶりにNHKオンデマンドで視聴しました。火曜日に葬式に参列したら、昨日のNHKの番組に実家の近くが出ていたという話が聞こえてきた。最近は、見逃してしまった番組を見る方法がいくつかある。自宅に戻り、ではではということで、パソコンでNHKオンデマンドサービスを使ってこの「家族に乾杯」を視聴しました。1番組で216円。見逃した番組を好きな時間帯に見るというのはこのオンデマンドが良いですね。1週間以内ならみられる。

ついでに、もうひとつの番組もオンデマンドを使って楽しみました。12月9日夜9時から放送されたNHKスペシャル「ロストフの14秒 日本vs ベルギー 知られざる物語」というのは必見だったようです。私は、サッカーはメジャーな大会ぐらいしか興味がわかないのだけど、ついでに見てみました。アーいう風にボールの動きとそのときに選手がどう判断し反応したかという話を聞くと、サッカーファンではないのだけど面白く見られるました。14日(木)の深夜に再放送があります。ロストフの14秒A

今確認したら、「家族に乾杯」も「ロストフの14秒」もYoutubeにアップロードされてました。そう遠くない時期に削除されてしまうと思うけど・・・・・「ロストフの14秒」はお勧め。(画面の白い文字は当方の付けたし)
「ロストフの14秒」
https://www.youtube.com/watch?v=_3oVT5CsUY4


「家族に乾杯」
https://www.youtube.com/watch?v=t2xlLF4W4ac&t=3928s

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1年で1日しか歌われない歌 (その2)

と、まぁー前のブログに書いたように、ネズミがオルガンをかじったことから「きよしこの夜」という歌が誕生した訳です。

しかし、このお話、面白いのだけど残念ながら「都市伝説」に近い。
200年前のクリスマスのイブにギターの伴奏で初めて披露されたというのは真実。オルガンの調子が悪かったというのも真実。ふいごがネズミにかじられて鳴らなかったというのは怪しいらしい。

実際はというと、オルガンの調子は悪かったが音が鳴らないというほどではなかったようだ。ミサは行われ、その合間にギター演奏による新曲「きよしこの夜」が演奏されたのだろうと市井の研究家は指摘している。

さて、お話の続きになります。
年が明け、春になると、聖ニコラス教会にオルガンを修理する職人がやってきた。このオルガン修理職人カが、偶然この曲を聴き、「きよしこの夜」のメロディーと歌詞に感動してしまった。モール神父より楽譜の写しをもらいうけた。モール神父はその後引っ越してしまった。というわけで、この「きよしこの夜」は、その小さな村の教会ではしばらく演奏されることはなかった。そんなわけで教会の知らないところで曲が広まり始める。

その楽譜が音楽ファミリーにも伝わった。音楽ファミリー? 時代は遅れるけどサウンドオブミュージックに出てくるトラップファミリーのような家族による合唱旅商人ですかね。トラップファミリーよりも少し前の時代。欧州各地を渡り歩いている「シュトラッサー」と「ライナー」という2つの家族合唱団。シュトラッサー夫妻は一流の手袋職人。毎年ライプツィッヒで開かれる市で手袋を売る時に子供達も連れて行った。四人の子供がとびきり美しい声を持っていた。「きよしこの夜」を教えると、四人とも喜んで覚えた。そして、子供達はよく親の売店や路上で客集めのために歌っていた。

1831年に、シュトラッサー兄弟姉妹が「シュトラッサー カルテット」としてライプツィッヒの祭りに招かれた。歌った曲の中にこの「きよしこの夜」が含まれていた。たまたま、ドイツのドレスデンの音楽出版社がこの歌を聞いていた。これは素晴らしい、ということで、聞きおぼえた通りに書き写し、作者不詳のオーストリアの民謡として出版した。この歌が欧州中に広まっていく。

シュトラッサー家が路端で演奏したのに対して、ライナー家が歌を披露したのはロシア皇帝や英国女王などと高貴の人々。行動範囲は広く、1839年には米国でも公演している。

一方、「きよしこの夜」の元の楽譜は失われてしまった。年月が経つにつれて作詞したモール神父の名前は忘れ去られて行く。作曲者は数十年後に公に知られることになる。ベルリンのプロイセン王立宮廷楽団長は、この曲はハイドンのヨハン・ハイドンが作曲したのではないかと推測していた。ハイドンの資料が多く保管されているザルツブルグの修道院に元の楽譜が保管されているのではないかと思った。そして、修道院に照会した。修道院の合唱長がその修道院の少年合唱団員であったフェリックス少年に調査を命じた。フェリックスの名前はフェリックス・グルーバー。フェリックスは、その曲はお父さんが作曲したものだと告げる。こうして、1854年に「きよしこの夜」の作曲者としてグルーバーが名乗りを上げた。

とは言え、チロル民謡として広まっていたこともあり、世間的には無名の作曲者の名前も揺らいでいく。多くの人は、グルーバーによる作曲を今一つ信じて無かったようだ。これほどまでに世界に広まったメロディーは有名な作曲家、例えば、ハイドンやベートーベン、あるいはモーツァルトなどの手によるものだろうとうすうす思っていた。

このもやもやが払拭されたのは、ほんの20年前のこと。1995年にモールの手書きの原稿が発見された。その原稿には、モールが1816年にオーストリアの巡礼教会に就かれ、そこで作詞し、1818年にグルーバーが作曲したことが記されていた。

2011年には、「きよしこの夜」はオーストリアユネスコの無形文化遺産に登録されている。

記念礼拝堂

さて、現在、きよしこの夜が演奏された教会はどうなっているか?
近くをザルツァハ川が流れている。この川はたびたび氾濫していた。教会は何度か流された。1900~1906年に別の場所に新しい聖ニコラウス教会は移転した。その跡地、旧聖ニコラウス教会があった場所には、1937年に「きよしこの夜」記念礼拝堂が建てられた。

記念礼拝堂(ここをクリックして出てきた大きな写真の上にカーソルを載せて左右に動かすと近隣が見られる)

礼拝堂の中の様子(ここをクリックして出てきた大きな写真の上にカーソルを載せて左右に動かすと内部が見られる)

この礼拝堂では、毎年12月24日17時からのミサでこの1年にこの日しか歌われない「きよしこの夜」が歌われる。

この時間に「きよしこの夜」を歌うために、世界中から人々がやってくる。教会の周りは数千人の人が集う。このミサの模様は毎年インターネットでも生中継されている。今年は、200年という区切りの年、特別なイベント・コンサートが企画されている。例年より盛大になるのは間違いない。なーんちゃってクリスチャンになって現地に飛んでみるのも良いかもね。寒いだろうな。中継を見ながら一緒に歌ってみるかな。部屋の中で温まりながら中継を見よう。日本時間では、24日の深夜25時だ。うーん、夢の中にいる時間帯だな。

1年で1日しか歌われない歌 (その1)


オーストリアには1年のうちで1日しかうたわれない歌がある。歌なのだから、本当はいつ歌っても構わないのだろうけど、オーストリアでは厳然としてその日だけしか歌われない。
日本にそんな歌あったかな?もぉーいくつ寝るとお正月の「お正月」や明かりをつけましょぼんぼりになどの「うれしいひなまつり」の歌は、季節性はあるが、その日だけということはない。何日か前あるいは数週間前から謳われたり、お店で曲が流れてくる。

オーストリアで1日しか歌われない歌は、賛美歌だ。ほぼ即席で作られた。遡ることちょうど200年前。日本では、伊能忠敬さんが日本地図を描き終えた頃の事。

ドイツ国境近くのオーベルンドルフという小さな町でのお話。クリスマスイヴの前日に、学校で音楽の教師をしていてたグルーバーは、聖ニコラス教会のオルガン奏者でもあった。200年前のクリスマスイヴの前日、つまり23日のこと、グルーバーは、クリスマスイブのミサで伴奏する練習のためにオルガンに向かった。しかし、オルガンが鳴らない。音が出てこない。調べてみるとオルガンの内部で、風を送るふいご=袋がネズミにかじられてしまっていた。片田舎にある教会での出来事。近くにオルガンの修理業者はいない。外は、雪深く積もっている。いたとしても、すぐには来てくれない。クリスマスイブまでには到底修理は間に合わない。

イブの当日、グルーバーは、オルガンが使えないことを友人の神父モールに伝えた。神父も途方に暮れた。神父の手元には、前々からギターの伴奏を想定して作詞していた詩があった。それを見た神父に名案が浮かんだ。神父はグルーバーに、その詩に曲をつけてくれるよう頼んだ。

しかし、グルーバーは、ギターのことはあまり知らない。初めのうちは「教会でギターを弾いても誰も気に入らないのではないか?」と渋った。ミサに間に合わせるにも時間が限られていた。「ギターコード三つぐらいは知っているだろう。三つくらいしかコードを使わない本当に簡単な曲を書いたらいいじゃないか。」というモール神父の説得もあって、詩に曲をつけることにした。ほんの数時間で詩に曲をつけなければならない。作曲し終えたのは、ミサ始まるわずか数時間前のことであった。礼拝ではモール神父のイタリア製ギターの伴奏にのって、新しいキャロルが披露された。ちょうど、200年前のクリスマス・イブの夜の出来事。

その後、この歌は音楽ファミリーによって欧州の各地で歌われるようになった。今日では、オーストリアでは国の宝とみなされている。伝統的に、歌われるのはクリスマスイブの日だけ。200年前の1818年12月24日に誕生したこの歌は、「きよしこの夜」.

天使の歌声といわれるウィーン少年合唱団による「きよしこの夜」
https://www.youtube.com/watch?v=NHs3ba-P9Yk

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