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中欧5ヶ国ゴールデンルートの旅 (その6/12)

3日目はプラハ市内の観光から始まった。プラハは、ボヘミア地域の中心都市で人口140万人を抱えたチェコ最大の都市。塔がたくさんあるから百塔の街ともいわれる。神聖ローマ皇帝のカレル4世(英語名のチャールズ4世)が即位していた時(14世紀後半)が最高の時期だったようだ。街にはカレルの名前を関した史跡が多い。
中欧 プラハ カレル橋 jtB EBP13-08378A

プラハ観光の定番はプラハ城とカレル橋(↑写真、奥がプラハ城、手前がカレル橋)。ギネスブックによるとプラハ城は世界一古く、世界一大きなお城になる。大きなお城といっても建物が大きいということではない。敷地が大きいということ。ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂(↓写真)やロマネスク様式の聖イジー教会のバシリカと修道院がある。さらに、現在は大統領府となっている宮殿や庭園、尖塔が並んでいる。
中欧 聖ヴィート大聖堂 images

それにしても、ロマネスク様式だとかゴシック様式だとか、はたまたこれはルネサンス様式、あれはバロック様式だといわれても、私にとってはハァー??・・・。まぁー、ゴシックは、教科書に載っていたケルンの大聖堂写真がとんがった尖塔をもっていたので尖っているのが特徴ぐらいはわかるけど。

プラハ城を見学した後は、道沿いにカレル橋へ。プラハを流れるヴルタヴァ川(日本ではモルダウ川と呼ぶのが一般的。チェコの作曲家スメタナの「わが祖国」の第2曲がこれね。)に架かっている。名前の通りあのカレル4世のときに建築が始まっている。1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる。日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスザビエルの像もある。

人気の像は、聖人ヤン・ネポムツキーの像。カレル橋では最初に造られた像。別格ですね。で、このヤン・ネポムツキーさんは、何したのか?王妃の聴聞師だったようです。話し相手といった感じですかね。ある時、国王が王妃の不貞を疑ったときも、王妃の告解の内容を明かさなかった。怒った国王はこのヤンさんを橋から投げ捨てて殺した。殉教。その時に川から5つの星が浮かび上がったという。そんなわけで、ヤンさんの像や肖像画にはかならず頭上に5つの星が描かれている。

なんと善良な僧侶ではないかということでいまや英雄。カレル橋のヤン・ネポムツキーさんの像の台座にある右側のプレートには、ヤンさんが橋から川に落とされるときの絵が描かれている。これに触れると幸せになれるという言い伝え。観光客が触りまくり。金ぴかに光っている。
中欧 ヤンさん像 解説 _24431587

こういうのって結構観光地ではある。例えば、イタリアのフィレンツェの市場では子豚(いのしし)の口の中にコインを入れて、そのコインが落ちて土台の格子の下にうまく落ちればとても縁起がよいとか、次に訪問したブラチスラバ市にあるマンホールから出てくる人の象の帽子を触ると幸せに慣れるとか。

このヤンさん、実は宗教上の理由で英雄に仕立て上げられた人物だった。かつて、ハプスブル家がチェコを征服したときに、多くのチェコ人は心情としては宗教改革家のヤン・フス(プロテスタント系の先駆者、つまり反カソリック)やヤン・ジシュカへ傾倒していた。どっこい、ハプスブルク家はカトリック側の中心勢力。流れを変えなきゃ。ボヘミアにおけるローマ・カトリックによる反宗教改革の一環として、ヤン・フスなどの宗教改革家に代わる聖人を祭り上げる必要があった。それでヤン・ネポムツキーさんに目が向けられた。

それにしても、チェコはヤンさんばかりだ。チェコ語のヤン(女性はヤナ)は、英米ではジョン(ジョアン)、ドイツではヨハンないしハンス、フランスではジャン(ジャンヌ)、ロシアではイワンと同じで、「聖ヨハネ」にあやかった名前だそうです。ピーターとかポールとか、もう欧米人の名前といったらどうしてこうも創造性がないのだろう。日本のきらきらネームは逆に行きすぎという気もしますけど・・。

さて、秘密を守り抜いて聖人に祭り上げられたヤン・ネポムツキーさんですが、事実は僧籍には無い一介の市会議員だった。 ナニ、ソレーッ!  実際には、国王が大司教の企みを聞きだそうと、ヤン・ネポムスキーを含む大司教の役人を拷問しようとしたところ、 ヤン・ネポムスキーが意識を失い、そのまま死んでしまったというのが真相のようです。歴史上偉人になっている人の実像はいろいろ。日本でもお札になっている野口英世博士だってねぇー・・・・。今だったら結婚詐欺で訴えられます。歴史上の偉人伝は後世の人によってこういう風に美化されていくことが多いんだね。
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