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ピラミッドを見に行った (その4)

前のブログからの続きですが、元号に続いてのもう一つの話題、イチローの引退のほうですが引退会見はみなかったのでその記事を読んでみました。最後のところで、フーン良いこと言ってるじゃないと思った。こんなことを言っていた。

(イチロー引退記者会見からの引用)
アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。
 孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。
(引用終わり)

イチローの引退を報道するときの記事は、だいたいが決まって以下のような記事だった。

(日刊スポーツからの引用)
数々の金字塔を打ち立てた日本最高の安打製造機が、ユニホームを脱ぐ。日米通算4367安打(日本1278、米国3089)のマリナーズ・イチロー外野手(45)が21日、アスレチックスとの開幕第2戦(東京ドーム)後、引退を発表した。
(引用終わり)

ここでチコちゃんの登場です。
チコちゃん:「ネェ、ネェー、イチローが金字塔を打ち立てたというけど、その金字塔って何?」
答えのわからない方はここをクリック

ずいぶんと前書きが長くなってしまった。
さて、エジプト旅行の続きです。

2日目は、この旅行のハイライト、ピラミッド見学である。7:00にホテルを出発した。バスは、韓国の現代車製。やはり本物の銃をぶら下げた警官が同乗している。ガイドの男性助手も加わった。バスには、添乗員と現地ガイドの女性、それに警察官と男性のガイド助手の4人が加わった。日本からの添乗員は手持ち不沙汰。そのつど、そのつどツアー客の人数を確かめるだけ。案外、エジプトへの添乗は、楽な仕事なのかもしれない。

「エジプトはナイルの賜物」、小学校あたりで習いました。ナイル川が、定期的に氾濫し、川が運んだ肥沃な土のおかげで、壮大な文明・国家が築かれた。エジプトで最初の統一王国ができたのは紀元前3000年前後とされている。最初の首都メンフィスから、ルクソール、アレキサンドリアと古代から現在に至るまでエジプトの首都は全てナイル川沿いにある。しかも東側に建設された。

古代エジプトでは、ナイル川西岸は“来世の地”とみなされていた。つまり墓地。ナイル川西岸は、川から離れるにつれ砂地が広がる。その先はサハラ砂漠へと続く。古代の王様は、砂漠とナイル川との中間の場所を選んでピラミッドを建てた。ピラミッドは砂漠の真ん中に立っているようなイメージがある。そのようなわけで、実際は思った以上に住居地に近いところにある。

メンフィスは古代エジプトの最初の都として栄えた。現在は博物館がある以外はすっかり廃墟となっている。メンフィスの墓所となっているのがサッカーラという街。サッカーラとは、現地語で“墓地”を意味する。このサッカーラには階段状のピラミッドがある。ギザの三大ピラミッドの次ぐらいに訪れることになるピラミッドだ。

もともとエジプトではお墓には貴人と一般の区別は無かった。初期王朝の頃からファラオ(王様)や貴人の墓として、長方形の形をしたお墓、マスタバが作られ始めた。やがて、ファラオが神格されて、ピラミッドがつくられ始める。サッカーラの“階段状ピラミッド”はこのマスタバを重ねた。6重に重ねている。最初の階段状ピラミッドで、階段状ピラミッドとしては最大である。ジェゼル王が建設した。高さは62m、底辺は東西125メートル、南北109メートルの長方形。この階段ピラミッドは、もともとは、高さ10m、いっぺん63mの正方形のマスタバとして建設される予定だった。

第4王朝初代の王スネフェル王(在前2613~前2589年)が即位すると、墓地をダハシュールに移し、ピラミッドの建設に着手した。この頃になるとピラミッドの建設技術も進化していた。古代エジプト人が崇めた太陽神がはじめて現れたとされるのは丘の頂上。この丘をまねてピラミッドが作られた。階段状を止めて、丘の形に似せようと直線の稜線を持って建設しようとした。

ところが、設計(工法)が間違っていた。初めは54度の傾斜で築き始めていた。そのまま54度の角度で巨石を積み上げていくと頂上が出来上がる頃は崩壊する恐れが出てきた。途中で傾斜角度をゆるくした。傾斜角度が変わって屈折した形となった。下部は54度、上部は43度の傾斜の屈折ピラミッドが出来上がった。

(写真:屈折ピラミッド、 右の写真:近くで見ると写真の上の部分は崩壊を止めるそちがとられていた。)


スネフェル王はこれに満足しなかった。屈折ピラミッドの北1kmのところにもうひとつ屈折ピラミッドの上部43度の傾斜と同じ傾斜のピラミッドを建設した。高さは105m、ピラミッドの中では3番目に高い。規模では、クフ王のピラミッドに次いで2番目に大きい。遠くから見ると赤みがかってみえる。赤のピラミッドと呼ばれている。この赤のピラミッドが世界最初の真正ピラミッドである。

最初から赤かったのではない。建設当初は白い石灰石の化粧石に覆われていた。しかし、化粧石の大部分が剥がされ持ち去られてしまった。中から現れた花崗岩が赤みかかっている。ピラミッドのそばで見ても赤くは見えない。茶色というか黄銅色っぽかった。1km離れた屈折ピラミッドからは、確かに赤みがかってみえた。私としては、この赤のミラミッドが美しかったので良かった。このピラミッドを作った石は、ダハシュールから南へ1170kmも離れているアスワンからナイル川を船で運び込んでいる。

(写真:屈折ピラミッドのところから見た赤のピラミッド)


屈折ピラミッドも赤のピラミッドも王様の棺は発見されてない。ガイドのリハムさんが説明してくれた。初めの頃の王様はピラミッドには入りたくなかったようだ。

旅行に行く前は、ピラミッドにもいろいろあるんだなぁーぐらいにしか思っていなかった。現地にきて説明を聞くと、ピラミッドの変遷が分かり面白かった。旅行雑誌るるぶにその変遷がうまくまとまっている図があった。お借りしてみた↓。現在までに発見されているピラミッドは138基。
ピラミッドの変遷 128182111210916328980_IMG_0006adjbb

階段ピラミッドや屈折ピラミッドは、現在、砂漠に囲まれている。建設した当時のあたり大きな林だったようだ。
屈折ピラミッドからバスで少し走るとナツメヤシの原生林が見えてくる。
オアシスのやしの実が一番高いそうだ。茶色の実が一番おいしいと教えてくれた。
1年を振り返ると、収穫の季節があって、乾燥期を迎える。やがてナイル川が氾濫を起こす。そして収穫の季節がおとづれる。この繰り返し。よみがえりの発想が根づく。そんなことから、死後復活の思想が生まれる。エジプト人は生前からお墓のことを考えて生活しているそうだ。



さて、話をピラミッドに戻すと、このようなピラミッドの形が漢字の「金」の字に見えるでしょうか?「金」の冠部分がピラミッドの形に見えると言われれば、なんとくそうかもしれないという気分。5000年前からの偉業を現世に伝えている。後世に永く残る業績を意味する「金字塔を打ち立てた」の“金字塔”は、文字の形からピラミッドを意味している。

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